うーさん日記

無職.comにて日記をつけておりましたが、無職でもないのでこちらに引っ越すことにしました。介護職なのですが、独特の介護感をメインに書いていきます。

どうしたことか・・

 四郎丸良子は自由人である。気ままに1日を過ごしている。裁縫が好きで、施設に入所する前はいろいろなものを作っていた。施設では、さすがに針等を使わせるわけにはいかない。しかし四郎丸良子はそんなこと気にもしない。いつの間にやらエアー裁縫を見出して、数々の見えない作品を作り続けている。


 四郎丸良子は、おそらく記憶のはざまで生きている。目の前の景色が見えていない。彼女に見えるのは記憶の中の景色だ。彼女は今も夫とともに暮らしていて、昼間は裁縫に精を出す、そんなふうに思って生きている。彼女の話は夫のこと、ご近所のことが多い。息子のはなしは聞いたことがない。記憶が息子が生まれる前なのかも知れない。


 さて、どうしたことか・・ようやく本題に入る。四郎丸良子は、良く見えていない。そのため食事は時間がかかる。時間はかかるが自分で食べることはできる。しかし集中力が持続しない。職員が近くを通ったりすると、足音に気を取られ食事がピタと止まってしまう。そんな四郎丸良子であるが、遅いながらも自力で食べることができるため、職員はぎりぎりまで良子さんに手を貸さない。食事介助が必要な高齢者が9名、これを2人でさばいていく。比較的良いリズムでさばいていた次の瞬間、あってはならない光景を見てしまった。四郎丸良子の食事が下げられてしまったのだ。ほんの少ししか口に入っていない。それは予定の範囲内。自力摂取では1割程度しか食べない。四郎丸良子の手が止まったら食事介助に入る予定だった。それが下げられてしまった。


 ここで葛藤が起きる。注意すべきか否か・・というのも食事を下げた職員がすごく打たれ弱いのだ。やんわりと注意しただけで傷つく子だ。悩んだ末にスルーすることにした。
おそらく確信犯だろう。いけないこととわかりつつやったのだろう。彼女は、いつも楽な人の介助しかやらないので、四郎丸良子のような難しいタイプの介助はできなかったのだろう。


 残念なのは、彼女はお花畑介護理論を口にするような真面目さんなのに、小さいプレッシャーから逃げたんだね。多くの職員は、食事量が少ないなら少しでも補おうと介助に入るものだ。それがないということは、心がないということか。どうしたものか・・困ったものです。


 その日は、朝食、昼食共に全量食べてたからまだいいけれど、それが常態化しているようなら注意します。

理想と現実

  会社の同僚が資格取得に向けて通信教育を受けています。通信とはいっても数回の実習も含まれていまして、彼女は大変なようです。こないだも実習で合格をもらえなかったと凹んでおりました。


 高齢者がいたとしましょう。その方は左半身麻痺です。ベッドから車椅子に移りたい。介助が必要です。私ならどうするか。両脇に手を入れ、上体をホールドし、一緒に立ち上がり、向きを変え、車椅子に座らせます。通信の彼女も実習でそのようにしたようです。そして不合格となった。


 残存機能を生かした介助だったか、本人のタイミング、意思を確認したか、適切な状況判断だったかがポイントのようです。前述の高齢者が自分で立つことができたならどうでしょう。わざわざ立たせるまでもない、立ち上がるように促すだけでよいはずです。すべてを介助者がやってしまうと受ける側はそれに同調してしまう、結局できてたことも徐々にできなくなっていくのです。残存機能を生かす、大切な視点ですね。


 しかし、たしかに正しいと思うのですが、私が日頃やっている、ほとんど介助者によって行われる介助(全介助といいます)は間違いなのでしょうか。本日はここにスポットを当ててみようと思います。


 私は、施設の高齢者の移乗を3つに分類しています。何も必要のない人、一部介助が必要な人、全介助の人。何も必要でない人は見守りする程度で良いです。一部介助の人は、立ち上がれる、歩くことはできるが転倒リスクがある人です。全介助の人は、少しは立位がとれるが長続きしない人、または全く立位がとれない人です。


 私は、この人にはこういう移乗が合っているとかあまり考えません。一部介助の人なら麻痺側をホールドするくらいでしょうか。それで不都合を感じたことはありません。全介助も3つのバリエーションがありますが、その高齢者が痛がらない方法を選んでいるだけです。


 特養のような施設では、それくらいでいいのではと思っています。その人に合った、その人のリズムに沿った、残存機能を生かした介助、それはそれで理想ではありますが、時間がかかります。時間がかかるということは、手薄になるところ(危険なところ)が出てくるということです。高齢者10人を一人で見ていたとしましょう。このうち1名がトイレに行きたくなった。良心的な介護職員なら連れて行くでしょう。職員の注意は、この一人の高齢者に集中することになります。残る9人はどうなるのでしょう。9人のうちの一人がふと立ち上がり一歩踏み出すと同時に転倒した、そうなったら大惨事です。転倒は高齢者の認知症を一気に悪化させます。それまで職員とおしゃべりができていた高齢者が別人のように何もできなくなったなんてことがあるのです。


 では、こういったシチュエーションで職員がとるべき行動は・・一番多いのは待たせることです。しかし考えてみてください。いまにも漏れそうなときに待たせられるということを。普通の人なら「何故だ。」と思うでしょう。そして職員の言うことを押し切ってトイレに向かうのではないですか。それを押し止められたらどう思いますか?怒ると思います。怒って当たり前です。次に多いのが、さっと連れて行ってさっと終わらせる。残存機能なんていってられません。さっさっさと終わらせるのです。短い間であれば、リスクも低くおさえられます。経験的に、今なら大丈夫という時はそうしています。安全という観点でみるなら待たせるが正解です。それで納得できる高齢者なんてごく一部ですが。でもトイレに行きたいという本能的欲求までおさえるというのは、高齢者の気持ちをあまりにも無視しているようにも感じます。私は多少のリスクを冒しても連れていきます。


 待たせるが正解だったとして、問題があります。いつまで待たせるのか。答えは他の職員がくるまでです。それはいつのことでしょうか。高齢者にはわかりません。わからないまま待つしかないのです。もう一つの問題があります。待って、他の職員がやってきた。さあ、トイレに行った。残存機能を生かした介助なんてやってくれません。さっさっさと終わらせられます。理由はあとの業務が控えているからです。


 私は、なるべく時間のゆとりを持てるように書類等は昼休みにやるし、緊急性のない仕事は勤務時間外にやっています。では、他の職員にそれを要求できるかといったら私にはできません。


 学校で教わる介護は、とても綺麗ごとのように感じます。しかし、私のいる施設では、
その要素を少しは取り入れたほうがいいんじゃないかとも思います。できるできないではなく、参考にすることはできると思うのです。通信を受けている職員がうらやましい。ぶつぶついいながら、前向きに取り組んでおります。まぶしいです!

面会

今日は、2組の面会者が来られた。そのうちの1組の話。


 四郎丸良子(仮名)、特養に入所して7年、現91才。耳が遠く、目もあまり見えていない。表現したい言葉そのものが見つからず、話がまとまらない。こちらのいっていることも理解できず、意思疎通はほぼ不可能だ。


 ほとんどの時間ををうとうと過ごす。あまり邪魔はしない、それが彼女の日常なのだ。それでもお茶とかおやつとかそういった時間帯は、彼女を僕らの世界に引きずり出さねばならない。僕はしゃがみこんで、目線を彼女の顎より低い位置に持っていく。そして気づかれないように彼女の肩を軽く叩き「良子さん。」と声をかける。魔法のルーティンワーク。彼女は、気がついて、嬉しそうに「あら、まあ・・」と笑う。そして堰を切ったように語りだす。何をいってるかはさっぱりわからない。ところどころ聞き取れた単語を「〇〇ですね。」と返しながら、彼女が気持ちよく話していけるよう相槌を入れていく。話し終えると彼女は満足そうにもう一度笑い、そして僕の身体をさすり出すのだ。


 彼女がコミュニケーションをとるために必要な諸機能はすでに壊れ始めている。コミュニケーションをとるのは難しい状況だ。しかし、彼女はコミュニケーションを拒まない。拒んでいるのは我々だ。話をすることがないから、何を話していいかわからないから、話がまとまらないから。ただ聞いてあげさえすればいいのに。誰かがそばにいるだけで安心するということはあるだろう。彼女が人を欲しているのは明らかだ。僕らはそれに応えていかなければならない。


 四郎丸良子さんの息子がやってきた。年に数回訪れる。良子さんに会いに来たというよりは、書類上、支払い上の理由で施設にやってきたというほうが正解か。受付から、四郎丸さんの息子がやってきたとの連絡が入る。僕は魔法のルーティンワークを用いて彼女を覚醒させる。彼女は嬉しそうに笑い、そしてとりとめのない話を始める。そこへ息子がやってきた。彼女はまだ上機嫌に喋り続けている。息子にうまくバトンタッチできた。そう思った。


 息子は一言も発しない。相槌もない・・彼女は話すのを止めた。沈黙の時間、大切な二人の時間は静かに過ぎていく。間に割って入るべきか・・推し量る。わからない。僕は二人がどのようなかかわりをして生きてきたかを知らない。沈黙の会話なのかも知れない。息子は何を考えているのだろうか。若い頃の母を思い返しているのか・・やがて彼女は、うとうと傾眠にはいった。息子は立ち去った。彼女に声をかけることもなく。


 何を話したらいいかわからなかったのか、何をいっているかわからないから聞く気も持てなかったのか。ただ、感じて欲しかった。彼女が人を欲しているということを。僕が相槌を打ってやるべきだったか。そうすれば、彼女が楽しそうに話す姿をもっと息子に見せることができたのに。やるべく業務があったのでそちらを優先した。後悔した。


 次回は、もっとうまくやろう。