うーさん日記

無職.comにて日記をつけておりましたが、無職でもないのでこちらに引っ越すことにしました。介護職なのですが、独特の介護感をメインに書いていきます。

実家で過ごす

 母は77才一人暮らし。さみしい毎日を送っているでしょう。たまに会いに行くんです。とりたてて何をするわけでもなく平凡とした時間を一緒に過ごします。


 枝切バサミが壊れたというので一緒に修理します。カーペットクリーナーが壊れたというので修理します。車庫のシャッターが開かないというので開きます。シャッターは修理できません(笑)


 その後、星野コーヒーに行き、ケーキを食べました。母の誕生日ということでのケーキです。抹茶ティラミスは美味しかったです。そして実家に戻り、寝てしまいました。気がつけば夕方でした。カレーが出来上がっていました。夜9時まで一緒にいました。


 日々の生活の中に、何かしら張りとなるようなものがなければ、毎日が退屈でつまらないものになります。母にとって・・高齢者にとってといったほうがいいかな。そういう張りとなるようなものを見つけるのは至難だと思います。母にとっての張りとは何だろうか。近所づきあいか、高齢者向けの体操教室に通うことか、たしかにそういったものは張りとなりえるものだろう。それらは、ざっくりいえば社会との関わりだろう。それでは、僕は母に対して社会との関わりをつよく感じさせるようなことをしているか。まあ自信がない。それは頻度をみればわかる。本当にたまにしか会いに行っていない。まあ、今の僕では大した張りにはなっていない。それと感謝の気持ちがうすいかな。もっとわかりやすく表現したほうがよかったな。


 母が、今後の人生において、自身の可能性を見出せるように、何かしらできることはないか、そう思った一日でした。

野良猫さん

 ブログをやってる人は猫好きが多いのではなかろうか?そんなわけで猫をUPさせていただきました(笑)


 僕は、猫は好きですが飼うことはしていません。面倒が見れないというのと、なるべく自由で生きてほしいというのがあるからです。だから猫が見たいときは公園に向かいます。最近は駆除が多いのか、なかなか野良猫に巡り合えませんが、いるところにはいるのです。そして、その情報はなるべく人に教えない。


 何かの拍子に「✖✖公園は猫がいっぱいいますよ。」と知人に話したら、市役所に通報するとかいいだしてびっくりしました。下手に情報を提供してはいけないということをこのとき学びました。どこでどうつながっているかわかりません。僕の前ではそういうそぶりを見せず、僕がいなくなってから騒ぎ出すとかふつうにありそうです。


 さて、どうでもいいはなしですが、上の画像、何が好きかというと右前足のシュタッとした感じがいいのです。猫が歩くというとそろりそろりとかシュタシュタとかそんな感じですが、人間様はそろりそろり歩けても猫のようにシュタシュタとは歩けない。伝わらない?すみません(笑)


 それと目線ですね。じつはこの猫、僕のことを警戒しているのです。警戒しつつも近くにいるもう1匹の猫に気をとられているのです。僕はもう1匹の猫さんに負けたのですね。警戒しつつも警戒していると悟られないよう平然と歩いているのです。でも目が若干こっちを意識してるんだよな~ かわいい野良猫でした(^^)

最後の晩餐

 LIVEDOORのBLOGOSで面白い記事を発見した。「想像力の向こう側」という記事だ。ざっと読んで面白かった。

 さて、僕にとっての最後の晩餐は何になるのでしょう。ケンタッキー・フライドチキンなのか、豪華中華料理なのか・・考えてみましたがどちらでもないと思います。もっと安易な物、例えばおにぎりとか、あんぱんとかそういう類のものだと思います。どうせ死ぬんだから豪華なものを、とはなりません。そのようなシチュエーションですから生きる気力はそんなにないわけです。せいぜい「お腹がすいた。」といった欲求を満たす程度でいい。
 ところが上のブログが紹介する自殺志願者は、「最後の晩餐」といって1200円のハンバーグを選ぶんですね。不思議な気分でした。僕の想像するに、彼は独身で日頃は節制しているが、たまにのプチ贅沢にこういう食事をとっていたのではないか。人生最後の晩餐としては少し寂しいかも知れないが、彼自体、食を満たすことにそれほど重きを置いていない。しかしながら彼が死に際して人生を振り返る多くの日常、その中に所々にこのようなハンバーグがあった。僕にとってのおにぎりやあんぱんと大して相違ない。
 しかしながらチェコ好きさんは、自殺志願者のハンバーグに違和感を感じるわけです。もっとお金がある段階で豪華なものを食べにいったらいいだろうと。この考えは僕にはちょっと理解できない。食べ終わった後に絶望がやってきそうだからです。こんなに安っぽい人生じゃないと。


 しかしながら、チェコ好きさんはとても深いのです。「想像力の向こう側」なるほどです。考えが及ばないからそもそもの欲求が湧かないんだと。確かにです。僕は、この先、どのように生きていくかを想像することができません。また、自分がどういう死に方をするかも想像できません。想像したことはありますが、それは受け入れがたいものにしかなりません。結局のところ、僕は放棄したわけです。考えることをやめた。そして今を生きることにフォーカスをあてた。それでも気が付けば考えている自分がいますけど(笑)


 自殺志願者とはちがいますが、父の話をします。父は、癌でなくなりました。肺周辺の癌細胞が気道、食道を圧迫し、呼吸困難、食事困難な状況でした。入院していて、ムース状の病院食でしたが、それでもなかなか食道を通過しませんでした。先が長くないことを父は十分に承知してました。死は受け入れているようでした。しかし、最後の最後まで懸命に生きようとしていました。車椅子で病院を散歩したり、看護師に内緒でこっそり饅頭を食べて吐いたり、前に読んだ小説を読み返したり。
 ところがある日、医者がさじを投げたんです。「好きなものを食べさせてあげましょう。」私は父に電話をして、何が食べたいかを聞きました。そして寿司を4貫だけ購入し、父の元へ運びました。かぶりつきました。しかし、残念ながら一口ぶんも喉を通りませんでした。父が大好きなネタだけをそろえていったのです。それがすべて食べられない。「お前が食べろ。」つらかったけど食べました。「すごく美味しい。」と精一杯に笑ってやりました。
 父の想像力では、寿司が限界だったのでしょう。小さい頃、貧乏だったそうで、それだけに寿司とかステーキとかそういったものに弱かった。未知への欲求ではなかった。過去の記憶から良いものをピックアップした。そういった意味では、父は、チェコ好きさんと僕の中間に位置するのかな。


 話がまとまりませんが、いったん終了します。続きはまたいつの日か。
 お疲れさまでした。