うーさん日記

無職.comにて日記をつけておりましたが、無職でもないのでこちらに引っ越すことにしました。介護職なのですが、独特の介護感をメインに書いていきます。

見てますよ。

 周囲に民家もない山の中のダムにも野良猫は存在するんですね。どうやって生きてるのか疑問ですが、へんなもの食べてないせいか、痩せすぎず太りすぎずの健康体が多いようです。


 昨日の夕方から夜勤でした。休憩なしの17時間勤務です。夜勤帯の業務はそれほどでもないのですが、朝方、早出スタッフ、日勤スタッフがきてからが大変でした。勤務表見て、「このメンバーなら業務が遅れる。」そう思って、やれることはやっておいたんですが、駄目でした。


 食事介助に時間がかかってしまったんですね。通常なら朝食は9時15分には終わってるんですけどね。9時45分まで手伝いましたよ。本当は、食堂(フロア)から離れて夜勤残りの業務をしないと自分も間に合わないんですけどね。でもね、日勤スタッフのU職員が素晴らしい奴だったんで、手伝うことにしたんです。


 U職員、仕事は早い方ではないが、丁寧な対応がウリです。しんどくても、業務がおしていても、心のこもった対応をします。


 食事介助がおしている状況でとばっちりを喰らうのは、四郎丸良子だ。並みの職員なら、四郎丸良子が食べていようが食べてなかろうが食事を下げてしまう。しかし、U職員は下げない。ある程度落ち着いたところで食事介助に入るつもりなのだろう。他の職員は、すでに排せつ介助に入っている。この段階で食事が終わっていない高齢者は3名。本来なら自分も離れなければいけない時間なのだけど、U職員1人に食事介助に時間がかかる高齢者3名を押しつけるのはあまりにも酷である。いつも温厚なU職員が珍しく(というか初めて見たが)イラついている。それでも手は抜かない。恐れ入りましたです。


 U職員から「ありがとうございます。」といわれました。でも、本来ならU職員のとった行動が正しいのです。それに協力できたことを私は嬉しく思います。他の職員の無言の圧力もあり、なかなか、そういった行動をとるのは難しいですが、それを押し通せるというのは立派だなと思いました。


 U職員のおかげで、すがすがしい気分で夜勤を終えることができました。「ありがとうございます。」ですね(^^)

本日の空♪

午前中は雨でしたが、午後から晴れました。上空は風が強そうです。

ふつうの雲ですね(^^)

小さい花をドアップで撮ってみました。

丸いのが開いたらこうなるのでしょうか?(同じ植物)

夕方5時ごろの太陽と消えゆく飛行機雲。


 実はミサゴ(鳥)見に行ったんだけど、出会えませんでした。まあ、どうせ会えないとは思っていたのでなんてことなかったのですが、夏といえど、夕暮れ時は心地よく過ごせるようになってきましたね。ダムサイトで晩夏を堪能するうーさんでした(^^)


 おつかれさまでした。

自らで立つ

太史慈大吾(92才、男)
 彼は車椅子で自走する。トイレに行きたければ勝手に行くし、部屋に戻りたければ勝手に戻る。私はそれでいいと思う。しかし施設はそれを許さない。危険だから。職員の目の届かないところで転倒されると困るのだ。この3年で5回も転倒している。命に別状がなかったから良いが、なにかあったらと考えるとぞっとするのは理解できる。
 
 彼が何らかの欲求によって、職員の目の届かぬところに行こうとする。職員はあわてて彼に近寄り、止めようと説得を試みる。何故説得されてるのか、わからない。彼は不機嫌になり、職員を無視して突き進もうとする。職員は根負けして彼の行きたいところへ車椅子を押して連れて行く。時間短縮のためだ。彼は困惑する。なんで頼みもしないのに勝手に押しだすのか。怒りが爆発する。職員は当惑しつつも車椅子を押し続ける。彼の意思は尊重されない。


 彼には動こうとする意思がある。人様に迷惑かけずともなんとかやってやるという気力もある。身体は動かさないとどんどん動かなくなる。我々は彼の気力を奪ってはいけない。気力があるからこそ動こうとするのだ。彼が動こうとするのなら、我々は、そのように支援していくべきである。


 職員も職員で、時間短縮でと車椅子を押し始めると、それが当たり前となってしまった。彼が車椅子を自走する機会はみるみる減っていった。つまらない顔をしている日が多くなった。食事量も徐々に落ちていき、うとうとすることが増えた。


 彼が一人でトイレに向かおうとしていた。声をかけると「うるさい。あっち行け。」と不機嫌になる。黙って彼を見守った。彼が車椅子から立ち上がろうとした際、案の定ブレーキをかけ忘れていた。軽く肩をたたき「ブレーキをかけてください。」とやさしくいった。「ありがとう。」といわれた。彼はトイレから戻ってきて「一人でできた。」と満面の笑みを浮かべていた。気力を奪う介護はしたくないと思った。


 私の父が、亡くなる数週間前、病院から外出が許可された。「もう長くはないから、家で過ごす最後のチャンスです。あと1週間もすればそれもかなわなくなります。」短い時間だったが、父は家で過ごす最後のチャンスを得た。肺がかなりやられており、立ち上がるのも必死だ。実家にたどり着くには5メートルほどの石段を上らなければならない。私は手を貸そうとした。父はそれを拒絶した。自分の力で家に帰る、その意思をもって石段に挑んだ、這いつくばりながらよじ登っていく父が印象的だった。家にたどり着いた父はゼーゼー息を切らしていた。満足そうではなかったが、達成感は十分に感じているようだった。


 身体が衰弱して、どんどんやれることが減っていく。息をすることすら苦しい。「歩く」、「石段を登る」、「食べる」・・単純なことかもしれない。自分にできることはなんだ。自問自答したろう。手を貸さなくてほんとに良かった。生きようとしたんだろう。邪魔しなくてほんとに良かった。


 父は、死ぬということがわかってから、父なりに生きようとした。生きたかったんだろう。私は、父が生きようとした姿を最後の方で見ることができてよかったと思っている。一番大事なものを教えてもらったと思っている。弱さをさらけ出したこともあった。感情を爆発させることもあった。それらすべてが、あるがままの自分を受け入れようとしていたんだと思う。


 私は太史慈大吾の生きざまを見ていたい。力強く突き進む彼の姿を、強い意思を見ていたい。意思とはすばらしいものである。